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僕なりの3.11
2011年3月11日
僕が近所の集会所で健康教室をやっているとき
東日本大震災は起こりました。
最近、埼玉県の中学校の給食についてこんな話題が出ていました。
3月11日に卒業祝い給食は非常識?
http://saitama-np.co.jp/news/2016/03/10/05.html
3月11日の卒業生最後の給食で赤飯などの「祝い飯」を提供することに
市内の中学校教諭の一部が「不謹慎だ」と唱えているという問題。
なんかもうね
いいんじゃないですか?
いつまでこんなこというんでしょうか?
ツラい思いをした人たちは
一生ツラい顔して生きていかないといけないんでしょうか?
ツラいことを乗り越えて、笑ったり、喜んだり、祝ったりすることがそんなにいけないことですかね?
忘れようにも忘れられない出来事じゃないですか。
でもそれを乗り越えて、幸せに生きていこうという気持ちの何が「不謹慎」なんでしょう?
ましてや被災に対する気持ちや支援と、卒業を祝うのは全く別の話ですよね。
震災を祝う給食じゃないんだから。
なんでそういう話になっちゃうのかなー。
大抵こういうことで批判するのって被災者じゃなくて外部の人間なんですよね。
こういう的外れな批判をする部外者がむしろ復興の妨げになってるような気もします。
僕も被災者ではないので、もしかしたら的外れなことをいっているのかもしれませんが
大きな傷を負った人たちが、平穏に、幸せに暮らしていける、そんな風になっていったらいいのにと思います。
今朝、震災で行方不明になってる妻を探して海に潜り続ける旦那さんの話がやってました。
ちらっと見ただけなので詳細はわかりませんが
この旦那さんだって、もう見つかりっこないことくらいわかってるんだと思います。
でも海に潜り続ける。
それがこの旦那さんなりの乗り越え方なのかなと思いました。
それに対して周りが「諦めよう」とか「絶対見つけよう」とか言うのは余計なことだと思います。
いろいろな支援の仕方があると思うし
考え方は人それぞれだけど
ただ黙って見守る
それも被災者を支援するということなんじゃないかな。
なんてことを考えた5年目の3.11でした。